コーヒー

776: 名無しさん@おーぷん 21/04/06(火)14:21:23 ID:Yo.2w.L1
大学時代にゴスペルサークルに所属していた話。
私は歌が大好きで、そこでストレス発散にもなるかなと思って入部した。


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先輩方も明るく楽しい人ばかりで和気藹々とした、唯一素の自分が出せる場所でもあった。
外部コーチとして、シンガーソングライターやロックバンドのヴォーカルをしている社会人の男(当時30歳)を招いていた。

だが3年生になってから学園祭に向けての夏休み合宿。
合宿が始まるやいきなり、コーチがある1年生の女の子(以下A子)以外の部員に突然怒鳴り込んだ。
要約するとA子以外全員やる気ないということで怒鳴られた。A子はサークルで今後やりたいこととか、練習についての相談とか個人LINEでコーチとやりとりをしていたらしい。なのにお前らはそんなのがないし、全然練習してないと。
そんな合宿はかなりスパルタだった。
しかもそれ以来A子が女帝的な感じになった。

そして今までは和気藹々とした感じだったのが一変した。
4年生の部長がそれを機に10月の学園祭1週間前に突然退部(のちに知ったが、A子とコーチが追い出したので実質クビ)。
当時1年生のA子が部長になってから、このサークルは完全にコーチとA子の帝国となり、この大学といったらこのサークルと言われるほど有名にしようという方針に。

まず、何事も全員で参加しないと意味がない、バイトよりサークル優先!と言われるようになった。
うちの大学には都心部のAキャンパスと長閑な住宅地にあるBキャンパスと2つある。
部員の9割がAキャンパスに通ってるのに対して、地域的にBキャンパス周辺の地域イベントに参加することが殆ど。
A子部長の代から出るイベントが例年と比べて倍以上増えた。
コーチの車でA子と共にイベントの打ち合わせと言ってどこかに行くことも多々あった。(以前の部長まではそんなものはなかった)
Bキャンパスまでの交通費(私の家の最寄りからだと往復千円前後)がかかるし、ボランティアに近いからギャラも出ない。
Bキャンパス周辺まで片道2時間以上、交通費往復2千円強を超える猛者も数名いた。
練習は毎週月金で、延長届を出して毎回フルで練習。その曜日が祝日とか入学試験となるとほぼ毎回遊びに行こうとなる。
練習やイベントや飲み会などの不参加の場合いつ、どこで、何時から何時まで、(冠婚葬祭だと)どういう関係の人なのかなどを事細かに教えなければならない。
飲み会は立場の弱いやつと扱われると、コーチが美男美女の注いだ酒が飲めないのかと怒鳴られ一気飲みを強要したりして、店内で吐いたり終電を逃した人もいる。
更にはアルバイトでシフトに出られずクビになった人も数名(ちなみにA子は持病の関係でバイトしてなかった)。
第一志望の企業のインターンに受かったからそれに専念したいと言ったらインターン許せな~いとA子がほざいたことも。

それらが理由で数名辞めていったりバックれたりしていたので、主に私のいたソプラノパートが足りなくなってしまった。

777: 名無しさん@おーぷん 21/04/06(火)14:22:43 ID:Yo.2w.L1
そんな時期に、A子がサークル初の定期演奏会をやろう、そこで初のオリジナルソングもやりたい!と提案。
定期演奏会場所はもちろんBキャンパス。オリジナルソングの作詞作曲はコーチ。
足りないパートはコーチが音楽活動で知り合った、軽音楽部とかでバンドやってる高校生や専門生の人達を呼んで補填。
定期演奏会のオープニングアクトとしてその地域で音楽活動してるグループを呼んでた。
そんなこんなで定期演奏会本番は成功したが、私はそれ以降就活と卒論を言い訳にサークルに参加しなくなった。
4年生になってキャンパス内でコーチにばったり会った時、就職に響くぞ~と脅してきたり、宜しくぅ~とか言ってハイタッチを求められたが、その手を叩いといた。コーチかなりキレてたな。
そして例年は数人くらいしか入らなかった1年生が15人くらい入部してたので、かなり部員増えて平和なんだなと思った。オリジナルソングも1年で5曲に増えてた。
だが半年くらい経った学園祭後には部員が1年生だけでも1/3以下に減っていた。
そんな部員が減った中での地域イベントや学年末の定期演奏会も成功したらしいが、私の代が卒業して、新入生歓迎会直後のタイミングでいざこざがあって、サークルは廃部になったと知った。
10年以上続いたサークルに悪い色がついて、現役部員や卒業生、その他今まで出会った人やこれから会う人に負の連鎖を続けるわけにはいかないとなったからとSNSに書かれてあったよ。

A子はその時ちょうど後輩部員が新設した演劇サークルに転部。そのサークルのメンバーほぼ全員A子と馬の合うやつらだったみたいで、崩壊には至らなかった。更には長期インターンで雑誌企画やコラム執筆に励んでいたとのこと。
コーチは廃部に責任を感じて、こなくなったと言う。
他の部員は帰宅部だったり、他校の音楽サークルに入って活躍したりって感じ。

だがある後輩(A子と同級生)の男子2人がサークルが好きだから続けたい思いが強いとのことで、自分らが部長・副部長となり、新入生をかき集めてすぐに復活させた。
廃部になるまで毎回更新されていたSNSは、新入生募集のPR、学園祭やイベントの告知くらいしか更新されてない。
延長届は発表本番直前くらいで、発表の場は学園祭や、学内の音楽サークルとの合同ライブや学生会主催イベントくらいに減っていた。
A子提案のオリジナルソングは今でも引き継がれていて、その部長副部長が卒業した後は、ゴスペル曲は歌わなくなり、オリジナルソングやJ-POPのアカペラアレンジを歌うサークルと化したけど、マイペースに活動してるんだなと思った。

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