悲惨過ぎる貧乏生活聞いた話や体験談

47: 名無しさん@おーぷん 2014/06/13(金)22:59:59 ID:lHsZyy3Cr
家は
父→わっかい女作って家出
母→大きくなって知ったがドラッ●ー

小学生の時電気止まる→ガス止まる→水道止まる
と絵にかいたような貧乏
水道止まるとトイレ流せないから近所のお風呂なしトイレ共同のアパート見つけてトイレ行ってた。

幸い年の離れた姉が救いだしてくれたけど働くようになったら給料取り上げられ毎日300円渡される生活。

結婚して子ども生まれて幸せしてたら借金の申し込み…
家族に迷惑かけたくないよぅ。


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45: 名無しさん@おーぷん 2014/06/11(水)20:20:51 ID:qW6HXoZUw
うちは子沢山で両親共働き。母は朝7時に出勤し帰宅できるのは夜9時頃。
父も交代勤務で夜勤などがあったので家事は小学生だった兄弟たちで100%分担してた。
だけど子供だから、買い物するときのコツとか、今月の生活費とかよくわかっておらず
給料日まであと2日というときに、両親の財布も買い物用の財布も空になってしまった。
その時、母が可笑しそうに「今日から2日間はお稲荷さんだよ!」と宣言した。
油揚げとご飯と調味料があったからだと思う。なんかそれがみんな可笑しくなって笑って食べた。

他にも給食費が期限までに払えなかったり、兄たちは優秀だったけど高卒で就職したり
子沢山故の貧乏だったけど、今でもお稲荷さんを見るとなぜか楽しい気持ちになる。


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2: 名無しさん 2014/04/06(日)22:30:28 ID:SHwiUESh2
んじゃ幼少期の出来事

私が小学校入るまえに父が他界し、母と姉妹3人で暮らしていた
母パートで当時は母子の手当ても今よりあったことから
貧しいながらなんとか暮らしていけてた。
ある日子供会のクリスマス会でプレゼント交換のイベントがあり
各子供500円までのプレゼントを持ち寄り、それを音楽に合わせて回して
交換するってどこにでもあるような催しモノだったんだけど
私の家は上記通り貧乏で、500円のプレゼントを3個は厳しかったみたいで
母が家にある物を見繕ってくれそれを持っていった。
中身は、賞味期限間近の饅頭と鉛筆3本だった。それを広告紙で包んで持っていった。


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